青き蝶の砦 第2話
「Hello?」
「私です」
「あ、はい。どうかしましたか?」
「実は・・・、」
コール音が長く続き、切られたらどうしようかと危惧していた青年は、電話がつながったことに安堵したが、それもつかの間。
どうやら何か良くないことが起きたと判断した青年は続きを急かそうとしたら、
電話の向こうで聞きなれたサイレンがかすかに聞こえ、もしやと思い尋ねた。
「まさか、母さんに何か・・・?」
「・・・はい、大変申し上げ難いのですが、奥様が先ほど病院の屋上から過って転落してしまって・・・。今は安静にしているのですが・・・」
「転落!?」
「はい・・。ですが今日はもう遅いので明日―――」
「今すぐ行きます!」
「いえ、命には別状ありませんから明日、いつものように病院に行って欲しいとのことです」
「・・・わかりました」
「それでは。失礼します」
(さて、鍋の火も消したし、どうしたらええんやろか?まさかくつろいでいる訳にもいかへんし・・・。)
晴日はキッチンで棒立ちしたまま考えていたが、漸くそこへ待ち人が姿を現した。
「お待たせしました。ありがとうございました。あの、お礼に夕飯食べていきませんか?」
そんな、ただ火を消しただけでお礼なんて…と言おうとしたらそれよりさきに晴日のお腹が鳴った。
「「・・・・・・・・・」」
当然聞こえてしまっただろう。
クスリと笑って、隣人は
「すぐ用意するので、くつろいで待っててくださいね。」
といった。
「お、おおきに」
晴日は照れ笑いするのが精一杯だった。
あまり待つことなく食事はダイニングテーブルに運ばれ、二人はテーブルについた。
「どうぞ、遠慮なく食べてくださいね。といっても味は保障できませんが」
ダイニングテーブルいっぱいに上がっているのは色とりどりの豪華なものだった。
「うっわ、うまそう。これほんまに食べていいん?」
「どうぞ。今日来るはずの人が急に来れなくなって、一人じゃとてもたべきれませんから。」
「ほんま、おおきに。じゃあ、いただきます。」
両手を顔の前に合わせかるく頭を下げる。
今日は一日じゅう移動で疲れているのに食欲には負けるらしく、
晴日はひらすらフォークを動かすことに集中し、
しばらくたって漸く気づいたといった感じで尋ねた。
「うまいわぁ、これ。えーっと・・・」
「あ、申し遅れました、薊 祷霞(あざみ とうか)といいます。よろしくお願いします」
「アザミトウカ?」
「草かんむりの薊に、寿の方の"いのり"に、かすみです。」
指先で空中にその漢字を描く。
「ああ。"祷霞"か。いい名前やなぁ。・・・"薊"ってかなりめずらしいけど、
どっかで聞いた事ある気がするんやけど…?」
こんないい顔やからモデルかなんかの職業やろか?と想像していた晴日に、祷霞はあっさりと答えをだした。
「ああ、それは"AZAMIコーポレーション"でじゃないですか?」
「あ!そうやわ、それ。うわぁ…まさか御曹司とか?」
「"オンゾウシ"?」
「ぼっちゃんか、ちゅーこと。祷霞は日本人じゃないん?」
「"祷霞"って…」
「あ、なんか"薊"っていうと"AZAMI"って感じがして…。すまん」
「あ、いえ。なんか…母以外に名前で呼ばれることなんて滅多にないですから…それで」
「んじゃあ、名前で呼んでもいいん?」
「あっ、はい」
はにかんだ笑顔を真っ直ぐに向ける。
「んで祷霞、話戻してもええ?」
「はい。一応母は日本人で、父はアメリカ人ですけど…。正確にいうと肉親みたいのはいません」
さらりと言われて意味を理解するまでの間しばしの沈黙。
「「………」」
「えーっと…つまり……」
語尾をにごしてしまう。
(本当の親は他界したっちゅうことやろか?
一回話題がそれたんにわざわざまた戻して・・・。アホかオレは!)
晴日がぐるぐるとかける言葉を探していると、祷霞が口を開いた。
「そう、つまりこういうことです。」
そういって口だけにわらいを刻み、耳にかけていないほうの髪を掻きあげる。
右耳にみえるのは紅い、赤い血のような小さなピアス。
「・・・?」
"こういうこと"といわれても晴日にはなんのことだかわからない。
しかしそれは外の人間なら当たり前で、逆にいうなら中の人間なら知っていて当然のことなのだ。
「?どうかしましたか?」
「え?いや、"こういうこと"っていわれてもオレにはさっぱり理解できへんがな。」
少し驚いたらしく目を軽く見開て、晴日が予想だにしなかったことを口にした。
「僕は人間ではありません。」
「えっ?」
聞き間違いではないかと即座に聞き返す。
そして祷霞は言ったのだ。
にこりと笑いながら。
「僕は"機械"です。・・ここでいうなら"アーティフィシャルl"ですね。」
「・・・はっ?・・・え?本物?!」
「はい」
(そういえばあの妙に愛想のいい警備員もそんなような鮮やかな赤のピアスをつけてたような・・・ちゅうかアーティフィシャルって研究所にしかおらへんのかと思っとたわ。普通に生活しとるんやな)
とかなんとかいろいろ考えて晴日の口からでた言葉は
「・・・そうなんや。さすが機械都市やなぁ。」
だった。ベテランの新聞記者になれるのはまだまだ先の事のようだ。
「そうですね、ここの人口の半分は機械ですよ。」
そう口にする彼は上品な笑いを浮かべていた。けして裏の顔がなさそうな、くったくない笑顔だった。
「でも、なんも言われへんかったら普通に気付かへんわ。」
祷霞は言った、耳元のピアスに触れながら。
「だからコレをしてるんですよ。法で定められてます。」
彼らロボットにそんな赤いモノピアスを義務づけなければ人間かどうかわからない――実際晴日も言われるまでわからなかった――それがココでの現代社会。
「あ、でも僕は一般的なアーティフィシャルじゃありませんよ。
他のアーティフィシャルは決められた事しか喋れなかったり、感情がなかったり…
必要最低限の事意外はすべて省いてしまいますから。」
(・・・・・・必要ないんか。感情って。
そりゃあ、機械の利点は正確、作業をまったく同じに繰り返せる、長い時間の休息がいらない、文句をいわない…とかがあるけど。
せやけど感情ってやっぱ人型をしてるんだったらあったほうがええんやないやろか。)
賛否両論だと思いつつも、ふと疑問に思い晴日は尋ねた。
「祷霞は感情ってあるん?」
首はあっさり縦に振られる。
「ココの最先端技術を駆使してつくられましたから。
でも、仕事上で考えるといらないような気もするんですけどね。」
「もう働いてんか?」
思わず聞いてしまった質問だがよく考えて見れば機械に歳もなにもない。
「はい。AZAMIcorporation社長、つまり父の秘書をしています。」
さらりと言われる。AZAMIcorporationといえばこの機械都市でも五本の指に入るほどの大企業だ。
「秘書・・・。その歳で・・・、AZAMIの・・・。」
口がカパッと開く。
「秘書といっても実際は二人いますし、一応年齢は19に設定されてますが
たいしてアーティフィシャルには関係ありませんね。前島さんはなにを?」
「晴日でええよ。オレは新聞記者やってんねん。」
「・・・じゃあ、晴日さん。記者さんですか・・・。見たところかなり若そうですがここへは1人で?」
「おう、23やで。一人できたけどカメラとかの機材とか持ってセンバイ達がひと足遅くくる予定や。」
「そうなんですか。」
にこっと微笑んで一度席を立つ。
食べ終わった食器を手に持ちくるりと振り返る。
「コーヒーかなにか淹れますね。紅茶とどちらがいいですか?」
「あ、えっとじゃあコーヒーで。」
「わかりました。」
キッチンからはシュンシュンとお湯が沸いた音が聞こえる。
座っているだけなのに少し気が引けた晴日は祷霞が持ちきれずに置いたままの皿を片手にキッチンへ行く事にした。
「皿ここに置いとくで。」
「あっ、はい。ありがとうございます。」
背後からのいきなりの声に少し驚いたらしく軽く振り返った。
このまま向こうに戻るのもなんとなく気がひけて必然的に彼の後ろ姿を見ることになる。
静かな水音とコーヒーの独特の匂いがキッチンに広がる。
「あの、シュガーかミルクは?」
さすがに会ったばかりの人に背後から見られるのは緊張するのか――まるで本当の人間のようだ――少し遠慮がちに聞いてきた。
「んじゃあ砂糖もろてもええか?」
「わかりました。」
えっと、シュガーはたしか…といいながら軽く振り向く。
どうやら砂糖はオレの真後ろにある食器棚にあるらしい。
つられて後ろを振り返る。
「熱っ―」
どうやら後ろを振り向いたときに右手に持っていたやかんの位置がずれ、
コーヒーカップの取っ手を握っていた左手に熱湯がかかったらしい。
左手からは透明な液が指先から伝い落ちる。
「大丈夫かいな!水!」
急いで左手を掴み冷水にあてさせる。
「あ、大丈夫です。なんともありませんから。すみません。」
「なにいってんねん、あんな熱湯かぶって。」
申し訳なさそうに笑って、
「いえ、本当に。痛覚、ありませんから。この人工皮膚も温度変化には強いので。」
あ・・そういえば・・・
「ロボット・・・なんやっけ・・・あ、でもさっき『熱い』って・・・」
「あ、それは設定された温度にいたったら反射的にそういうようにプログラムされてるんです。
まあ、皮膚が焼け焦げたりしないように警告みたいなものなんじゃないでしょうか。」
「そっか…まぁヤケドせえへんくてよかったやん。」
と思ったことを口にだしたら祷霞は軽く目を見張った。
そして、クスクスと笑い、謝った。
「あ、ごめんなさい。」
「なんで笑ろうてんねん。」
「人間ってずいぶん心配性の人が多いんだなぁって。」
「?」
「僕が怪我しそうになったら、あ、でももし僕が人間だったらの怪我ですよ?
アーティフィシャルはそんなのありませんから。
で、そうしたら僕がいくら大丈夫っていっても母はずっと心配そうにしてるし、
父なんていつもは鉄仮面なのに怪我などけしてするなと怒るんですよ。
そして晴日さんも僕がアーティフィシャルだって知っていたのに火傷してないか心配するし…なんか嬉しいなぁって」
つまり彼は機械だからするはずもない怪我を心配してくれるのがうれしいらしい。
それとも、人間と同じように扱ってくれたからであろうか?
しかしそんなに笑われたらなんだか居たたまり無くなって、
晴日はしかななくコーヒーを何度も口に運んだ。
ふと風で揺れたカーテンから覗いたビル並みが見えた。
晴日は椅子から離れカーテンを開け、少し開いていた窓をさらに開きそのままベランダにでる。
「――すっご・・・綺麗やのぉ・・・」
晴日が自分の部屋に初めて入ったときすでにカーテンは閉まっていたので、
これが初めて見る上からの眺めなのである。
各ビルの窓からこぼれる色とりどりのネオン。おまけに星も月もはっきり煌々と輝いている。
晴日の住んでる所は空気も濁り月がこんなにはっきり見えた事はない。
カランとベランダ履きを足に引っ掛け祷霞も出る。
晴日の隣りに並び手すりに体重を預け言った。
「・・・・・そう・・・・ですね・・・」
言葉では晴日の発言に同意したがまだ続きがありそうで、目だけで祷霞を見、先を促した。
ビル郡のどこか一点を見つめていた祷霞は晴日の視線に気付き困ったように笑い、そして続ける。
「――綺麗・・・過ぎますね。」
そういってまた視線をどこか一点に戻す。
「これほど明るい都市で月や星がこんなに綺麗に見える訳がない。
それに、ここはもとから薄い膜を張ったドームのようなものですしね」
そういわれて晴日は初めてその矛盾に気付いた。
「ここには人口的に、神の手によって創られたのではなく人間が造ったものしか存在しません。
アーティフィシャル、ビル、そして月や星や空・・・。唯一の例外がそれらを造った人間なんですよ・・・」
そういい終わったあとには沈黙が残る。
別に意図的にそうなったわけではない。
晴日はその事について考えていた。人間はその真実をあまりに軽く、いや軽率に考えてはいないだろうか・・・とかいろいろ。
その沈黙を破ったのは祷霞。
「だから、僕はココの眺めは好きじゃないですね。」
もう一度晴日はC.P.を視野を広くして見てみた。
なんだかそういわれると、あまり綺麗に見えなくなるのだから人間というのは不思議なものである。
「1度、目にいっぱいの緑をいれて見たいですね。」
「…ずっとここに住んでるんか?」
苦笑される。肯定の意味ととってもいいだろう。
晴日は自分だったらきっと耐えられないと思った。
"自然"を知っているからなおさらだろう。
(・・・"自然"を知っとる人と全く知らん人がずっとここに住むとしたらどっちが辛いやろ?)
また沈黙。さっきより空気が重く感じる。
さぁっとなにかが晴日の頭をよ過ぎった。
(・・・"いっぱいの緑"・・・?あっ!)
「なぁ!明後日ヒマ?」
「?まぁ・・・明後日は祝日ですし・・・」
晴日はニィと悪ガキがなにかよからぬことをしでかしそうなえ笑みを浮かべた。