虚無の鋼 第3話
「うわっ!トシ、どうした?!大丈夫か?!」
日常を共にする自分たちの住居。
いつもこの時間つけているTVをみながら飛鳥は、今しがた開いた玄関のドアの音に廊下を振り返える。
迎えられる人物と、迎える人物が逆の事はあるけれどこれも日常。
日常と違っていたのは隼の外見。
もう見慣れた若草色の制服姿だが、
腹を片手で庇うように抑え、足を引き摺りながら、隼はリビングにたどり着いた。
「くっそ!」
それだけを発し、ソファにどかっと座り込む。
いつもはゆるく一本に縛っている、男にしては少々長めの髪は、今は下ろされ俯いた隼の表情を隠した。
「と、とりあえず手当てだな」
飛鳥は言うが早し、救急箱を取りに立ち上がった。
所は変わって、誰もが知っている有名な巨大な駅。
駅前には大きなデパートが立ち並び、ひとたび信号が赤になると信号待ちの人でごった返す歩道。
大きな電光掲示板が点滅を繰り返し、夜である事を忘れてしまうほどの明るさを保つ。
そんな街にも"裏側"は存在する。
誰もが素通りしてしまう、人がすれ違えないようなビルの間に入って奥に進むと辺りは一転、
ひっそりとした、それでいて誰かが潜んでいるのがわかるようなそんな濁った空気にと変わる。
何年前に建てられたかわからないビルとビルの、隣接しすぎて窓の役割を果たしていない程の隙間をさらに進むと、地下への階段が姿を現した。
男は躊躇なく階段へと足を踏み出し、地下へと降りていき、目の前の扉を開いた。
鍵の掛かっていなかった扉は、キィと錆びた金属が擦りあう嫌な音と共に開いた。
室内は、丁度教室一つ分を少し縦長にしたといった程度の広さで、
雰囲気は西部劇にでてくる居酒屋と、大正時代の喫茶店を足して2で割ったような
だれもが一度は目にしたことのあるような感じだ。
だが、どう贔屓目に見ても営業しているようには見えない。
年季を感じるというか、寂れているというべきか。
活気というものをまるで感じさせない室内だが、人の気配はあった。
「あら?肖じゃないの!随分久しぶりね。どうしたの?港(みなと)に用事?」
一番最初に男の存在に気づいたのは、丁度ドアと向き合う形になってソファに座っていた女だ。
女は腰まである癖のない黒髪をはらいつつ、ぱっちりとした黒目を男に向け、歓迎の笑顔を見せ手招きした。
「ほんとだ、久しぶりだね、肖。そろそろ来る頃だと思ってたよ」
パソコンに没頭していた青年は自分の名前を呼ばれた事に反応し、
スツールを回転させて肖の姿を確認し、チタンフレームの眼鏡を胸ポケットにしまい立ち上がった。
「しょーちゃん久しぶり!元気にしてた?何か飲む?」
入口に立っていた肖にふわりと抱きつき、満面の笑みで迎え入れたのは、
最初に声をかけた女とは対照的な、金髪に近いふわりとカールした髪を持つ女だ。
「・・・・・・あぁ」
店に入っての第一声を発した肖に女は続けた。
「だって、よろしくねお兄ちゃん」
にこりと笑顔で声をかけ、黒髪の少女のいるソファまで案内する。
「沙羅、たまには自分でやりなさい」
そう文句を言いながらも、すでにカウンター裏に入っていた港は、175pはあるだろう長身を少々屈めながら豆を挽き始めた。
「・・・・・・珍しいな」
「でしょ?いいタイミングできたわね。私もアニキも昨日からココに泊まってるの」
「ほんとすごい偶然、5人揃うなんてどれ位ぶりかな?ね?亜矢ちゃん」
亜矢と呼ばれた黒髪の少女は、港が新しく淹れてきたコーヒーを受け取りつつ答える。
「そうね、少なくとも1年以上前だわ。沙羅と港はココに住んでるから肖が来たら会えるけど、私達はそうもいかないもの」
「ちなみにいま蓮児(れんじ)は負けて、買出し中」
4人分のコーヒーをテーブルの上に置いた港が、口をはさんだ。
どうやらコーヒーを置くためによけられたトランプは、今しがた使われたものだったらしい。
「・・・・・そうか」
「それにしても肖は相変わらずね!全身真っ黒。いつか警察に職質かけられちゃうわよ?」
「亜矢、俺達一応警察の組織に所属してるんだから・・・」
「あ、聞いて、聞いてしょーちゃん!私こないだやっと二十歳になったの」
「港、細かい事気にしないで。そうそう、肖にこないだの沙羅の晴れ姿、みせてあげたかったわ。
私が2年前成人式で着たのを沙羅も着たのよ」
「お祭りみたいで楽しかったの。肖も昔行った?」
「肖が成人したのっていつだったかしら?アニキと同い年だってことは26?」
「全く・・・。肖はクリスマス生まれだからもう27だよ」
「お兄ちゃんよくそんな事覚えてるわね。しょーちゃん今回は何日くらいこっち泊まってくの?」
「あら、肖が泊まってくなら、私達ももう少し長居しようかしら」
「えっ?ホント?亜矢ちゃん!嬉しい!」
「肖、今仕事は?」
間髪なく続く会話に、相槌を打ったのは肖ではなくドアのきしんだ金属音だった。
「おら、買ってきてやったぞ!って、おい、珍しい客がいるな」
「ケーキがきたぁ☆れいちゃん,待ちくたびれたよぉ」
「俺よりケーキかよ」
「いいからアニキも早くこっちに来たら?」
亜矢がアニキと呼ぶに相応しく同じ黒髪に、
180p程の体躯を持つ、身長に似合わず甘いマスクの青年は、ブーツを鳴らしつつテーブルに近づいた。
「よう、この裏切り者が」
ケーキの箱を、手を差し出した沙羅に渡しつつ、
蓮児は空いた手で肖にホールドロックし、にやりと笑った。
「・・・げほっ、」
「蓮児、締め過ぎ」
「おっ?そうか?久々過ぎて加減も忘れるわ」
猫のような三日月の笑いを向け、肖の肩を2度軽く叩いた。
「・・・・・・港、」
「わかったよ、行こう」
それを聞いて港は立ち上がり、
既に箱からケーキを取り出していた沙羅は、慌てて皿とフォークを持ってあとを追った。
「俺も行こーっと」
ひょいと軽い動作で3人のあとに続いた蓮児。
最後に亜矢が冷静に、ケーキの箱を冷蔵庫にしまい、カウンター奥に入った。
「よし、とりあえず手当てはこんなもんでいいだろ。
いろいろ説明してほしいけど、先輩いた方がいいよな。
今ケータイに電話してきてもらうから、それまでトシは寝てていいぞ」
ぱたんと救急箱の蓋を閉め、立ち上がり電話に向った飛鳥は隼に声をかけた。
隼は無言で、座っていたソファにずるずると腰を滑らせ、横にぱたりと倒れ、目を瞑った。